知らなかったこと
今から70年前、北方領土に住んでいた人たちは命からがら逃げてきました。
父も船で逃げてきたものと勝手に思いこんでいました。ところが改めて聞いてみると、戦争中は勤労動員で神奈川県横浜市、石川島芝浦タービンにいたとのこと。終戦時17歳、手先の器用さをかわれて、長野県松本市に新しくできた工場に異動となり働いていたそうです。
8月終戦、根室に帰った父は、空襲で何もなくなってしまった市内を見て愕然としますが、幸い家族・親戚は島から引き上げて身を寄せ合って生きていました。その後父は生きていくために小学校の用務員になったり、大工をやったり、昆布の行商をしたり、行商先で出会った母と...父の話はまだまだ続きました。
ファミリーヒストリー記録社を始めようと思っていなければ、きっと聞いてはいませんでした。そんな戦前戦後の話も含めて、高度成長期の話、子育ての話、病いや怪我の話、事業を始めた話、本当に様々な話が、父だけでなく誰にでもあるということ、100人いれば100通りの物語があるということを今は実感しています。
聞こう、残そうと思わなければ、その記憶は消えてしまうだけなんですよね。
写真は前回記事の小学生の父と兄、弟、そして遠くに行ってしまったお姉さんです。

父方の戸籍謄本の取得
戸籍謄本の取得は、基本的にご本人が手続きを行います。ファミリーヒストリー記録社ではご本人の手間を極力減らすようご協力しています。
まずは根室市役所に戸籍謄本の申請をしました。すると父の父の父は岩手県山田町から転籍したとあります。そこで根室市で取得した謄本のコピーを添付して、今度は岩手県山田町に申請します。
山田町と言えば、東日本大震災で被災し、過去にも何度となく地震や津波の被害を受けています。昔の戸籍は80年間しか保管していない時期もあり、既に申請しても取得できない方も一部にいらっしゃいます。また、空襲や震災で保管している建物ごと焼失してしまっている地域もあるのです。今は150年保管しておくよう法律が変わったのですが、一番古い1886年頃発行のものは2036年までに忘れないうちに取得しておく良いでしょう。
戸籍謄本の中に、父の姉が山田町の「武藤氏再興のため除籍」とあり父が小さい時に離れ離れになってしまいました。本をプレゼントした時に涙を流した原因のひとつに、大好きだったお姉さんのことがあったのではないかと思い、このお姉さんがもし山田町で生きていたなら...と想像しました。
無理とは知りつつ、山田町役場に問い合わせましたが、残念ながら直系ではないため、もしいらっしゃったとしても情報をいただくことはできませんでした。
大正8年生まれのお姉さんは7歳で山田町に渡っているので、生きていたら95歳。今度山田町に行った時に、何かつながりが見つかればと思うのでした。
北方領土生まれ
父は昭和3年、今は北方領土と言われている、歯舞諸島の中の小さな小さな島「秋勇留島」で生まれました。終戦と同時に引き上げてきて、根室半島の漁村に居をかまえ小さな魚屋を始めました....ということは伝え聞いていたのですが、実際にどんな理由があって北方領土に来たのか、その前はどこにいたのか、どんな生活をしていたのか、さっぱり知りませんでした。また、若いうちは知りたいとも思いませんでした。
しかし不思議なことに自分が40歳を過ぎ50歳に近づいてくると、聞いておかなければと思うようになってきたのです。さらに父が大病を患い、手術でもしものことがあったらという医者からの確認があり、ますますその思いは強くなりました。
秋勇留島は人よりも馬の方が多い島で、一緒に暮らしていた人たちはもう残っていないのではないかと思います。
北方領土と言えば、中学校時代、北方領土返還を訴える根室市主催の弁論大会に出ることになりました。あまり声も大きくないですし、感情を入れて話すのも得意ではありません。それでも最後のフレーズくらいは大きな声で締めなくては!!と緊張してしまったのでしょう。一番良いところで、大きな声でかんでしまいました...(泣)。
つい余計なことまで思い出してしまいました。
そうして父のファミリーヒストリー調べが始まりました。 (つづく)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%AF%E8%88%9E%E7%BE%A4%E5%B3%B6
父も泣いていました。
昨夜のNHKファミリーヒストリーでは、梅宮辰夫さんが出演し、泣いていましたね。芸能界という派手な世界にいて、地道に往診する町医者のお父さまの姿は、なかなか知ることができなかったのではないかと思います。
私が父のファミリーヒストリーを聞いて調べて、一冊の本にした時に、私の父も泣いていました。梅宮辰夫さんとは違うのですが、父が小学1年生だった頃の写真を見て
「ここに写っている中で生きているのは自分だけだ。姉も兄も弟も、みんなあの世に行ってしまった」そう言いながら涙を流しました。
我が家は4人姉弟で私には姉が2人弟が1人います。姉弟にも父との思い出と父へのメッセージを書いてもらいました。姉弟お互いに、父との接点が異なっていて知らないことも多々ありました。実母が早くに亡くなっていることもあり、母が亡くなってからの学年と環境変化に応じて、父に対する気持ちもそれぞれです。
また4人のメッセージは姉弟同志でも、父にとっても、初めてお互いを知る体験でした。だってふだんはそんなあらたまった話はしませんよね。
なかなか具体的には書きづらいですが、なぜファミリーヒストリー記録社を始めたのかを、これから時々書いていこうと思います。
「お話を聞く」技術をいくばくかでも向上させたいと願い、いくつかの分野をのぞいてきました。ぱっと思い浮かぶのは 「傾聴」「インタビュー」「カウンセリング」「取材」「聴取」....
いろんな本を手に取って考えてみました。傾聴のように単に頷いて聞いているだけでいいのか、カウンセリングのように心がつらい方に聞く手法でいいのか、取材方式で聞きたい質問をしていけばいいのか、民俗学のような取材はどうなのか、などなど。何かどれも合っているようで、微妙に異なるような感じもしました。あるいはその良いところを抽出できないかとも感じました。
ファミリーヒストリー記録社で貢献したいと考えていることは、お父さんお母さんに人生の歴史を語っていただき、それをお子さんお孫さんたちに伝えていくことが一つの目標です。もう一つの目標は、ご本人が語る過程で、ご自身の中に眠る数々の出来事を色鮮やかに思い出し、喜びや悲しみ、幸せな時や苦しかった時を乗り越えてきたことを改めて確認することなのではないかと思っています。それは、自分の人生を改めて認めなおし、自信を持って明日からも生きていこうと思える大事な時間と記録なのではないかと思うのです。
すべての方に、語るに足る深い深い歴史があります。思いがあります。そんな思いを語っていただく場を、個人史・家族史を制作する最初の過程、「お話を聞く」過程で作っていきたいと願っていますが...まだまだ修業中です。
「プロカウンセラーの聞く技術・話す技術」浮世満理子・水島広子・諸富祥彦監修 マルコ社
「プロカウンセラーの聞く技術」東山紘久著 創元社
「プロカウンセラーが教えるはじめての傾聴術」古宮昇著 ナツメ社
「聞く力 心をひらく35のヒント」阿川佐和子著 文春新書
その他
関東地方も大変な雪でしたね。私y店長は北国の生まれなので、転ばないように歩くことはできますが、結構疲れます。明日も凍結しているので気をつけて歩きましょうね。
さて今回は開業へのきっかけの一つとなったお話を書いてみました。 ファミリーヒストリー記録社を始めようと思った時、私自身、お年寄りの話を聞くことができるのだろうかという不安を感じました。また家族として一緒に生活した経験もほとんどありません。そこで、お年寄りと深く接することが多い、ホームヘルパー講座を受講することにしました。 3冊の厚い教則本を読みレポートを郵送し、2ヶ月間、毎週日曜日にスクーリングを受け、その後3ヶ所の実習先をまわりました。デイサービスセンター、同行訪問、特別養護老人ホームの3ヶ所です。 食事介助、着衣の交換、ベッドメイキング、洗髪後のドライヤーがけ、おむつ交換、などなどたくさんの経験をさせていただきました。ただ、経験の浅い実習生は「お話していてください」と言われる場面も多く、もとよりそうした経験がしたいと思っていたので、本当にたくさんの方とお話することができました。
生まれた地方、時代、名前の由来、家族、戦争体験、関東大震災、子育て、浅草の賑わい、青春時代、姑との確執、病気、俳句...目に見えるように多くの体験談を聞かせていただきました。泣けてくるようなお話もありました。ご一緒させていただいた方々の人生の一端を、追体験したような濃厚な時間を過ごしました。 たかが実習生の私が、こんな宝物のような思い出の数々を、聞き流すだけでいいんだろうか、いや何とか残してあげられないだろうか...そう改めて実感したのでした。
家系図、ルーツ、ファミリーヒストリーの調査、記録を承ります。