城下町を歩く―岡山城下をゆく―

主任調査員の金子です。

先日、調査のため岡山県へ行きました。

3日間にわたりお墓の調査、古文書撮影、図書館での資料探しをしてきました。

現地調査では移動中や訪問予定の前後の空き時間もできうる限り、史跡などを見るようにしています。

特に城下町では歩いているだけで、史跡に遭遇しますので、特に下調べをせずとも、さまざまな史跡を見ることができます。

岡山は岡山藩池田家31万5,000石の城下町ともあり、街中に史跡がありました。

まず、岡山藩藩学の跡地です。

江戸時代には各藩に藩の学校である「藩校」がつくられましたが、岡山藩の藩校が最古のもので、寛文9年(1669)名君と呼ばれた藩主池田光政によって開設されました。

跡地は公園となっており、藩校の前身となる花畠会を創設した陽明学者熊沢蕃山の石碑などが建てられています。

城下には必ず藩士たちの屋敷が並び、著名な藩士の屋敷跡には石碑や案内板が設置されていることがあります。

日本三大仇討ちの一つ「鍵屋の辻の決闘(伊賀越えの仇討ち)」の当事者である渡辺数馬の屋敷跡や、2代の藩主にわたり補佐役として藩政を支え、土木事業や産業振興に尽力した名臣津田永忠の屋敷跡には案内板や石碑がありました。

城下町は村とは異なり、狭い範囲で細かく町名がつけられています。

町名の由来を記した案内板もありました。

この紙屋町はもともと麹をつくる職人が多く住んでいましたが、別の地に移され、その跡に紙を扱う商人が増えたために紙屋町となったとあります。

このように城下町の町名がそこに住んでいた人たちの職業にちなむ町名がみられます。

ご先祖が城下町に住んでいた武士や町人であった場合、城下町調査は必須となります。

また、ご先祖が農村出身であっても所属していた藩の城下町をみることによって、藩の規模が分かります。

いずれにせよ、城下町を歩くことによって、その土地のさまざまな歴史をみることができます。

現地調査は朝から日が暮れるギリギリの時間まで行います。この日も19時前まで県立図書館で調査をしていましたが、終わったとたん「腹が減った」ということで、岡山名物の「デミカツ丼」を名店カツ丼野村でいただいてきました。一見濃厚そうなデミグラスソースですが、味は意外とまろやかでした。

現地調査は体力勝負ですので、スタミナがつくものを食べるのがいいですね。

近況です。

 近況です。

・海を越えて取寄せた戸籍謄本で、半年かけて4系統系図が完成しました。日本だけではない歴史について背景を解説しました。
・今日は軍歴証明申請書を8通作成しました。頭が糖分を欲しがります。
・自宅では『近代日本戦争史』を読んでいますが、骨休めについ読み進んでしまう分厚い文庫本。『2016年の週刊文春』面白いです。
・今頃、北関東のスタッフの現地調査は終わったかなとか、北海道、東北、九州、関西、東京、皆さんの頑張りを影で応援しています。お疲れさん。
・当社初めてのインターンシップを受け入れ、ちゃんとためになることを教えられているだろうかと自問自答。若い子に教えられることの方が多く、日々反省しています。

 晴れた日は、青い空を眺めながら「空に吸われし60のココロ」などとつぶやいております。写真は晴れた日の東京の空と、曇りの多い最近の虎ノ門街角。ヒルズと砂場。
 連休がもうすぐです。頑張りましょう~(^^)/

お知らせなど

お知らせなど

・コロナ直前まで全国NHK文化センターにて「ファミリーヒストリーを調べよう」講座を開催していましたが、今年ようやく再開します。告知は改めてしますが、その前にもあるんです!!
 是非目黒学園カルチャーのオンライン講座にもお申込みください。5月20日(土)と8月19日(土)です。当社のエース、主任調査員金子さんがお話しますよ~(^^)/

https://www.megurogakuen.co.jp/course/21526/

・来週1週間はNHKファミリーヒストリーの再放送が何本かあります。見逃していた方はお勧めします。そして4月28日は大久保佳代子さんの回です。某局で川島さんと温泉タオルにマークがあるかないかで一喜一憂している姿は好感が持てます。楽しみ楽しみ♪

https://www.nhk.jp/p/famihis/ts/57RY735RG4/schedule/

どうみる「らんまん」

主任調査員の金子です。

今月からNHK連続テレビ小説第108作「らんまん」が放送されています。

今回は植物学者牧野富太郎をモデルにした槙野万太郎が主人公で、幕末から昭和までを描くということもあり、ファミリーヒストリー的な目線でみることができるのではないかと思っています。

1週目では江戸時代の造り酒屋の様子や、商家の本家・分家の関係、当時の慣習や迷信などが丁寧に描かれていました。

2週目では万太郎が郷校名教館に通い、士族の子弟たちと一緒に学ぶ姿や、廃藩置県で領主深尾家が東京去り、家臣の塚田昭徳が帰農するという場面が描かれました。

幕末の城下町の商家、武士と商人の関係など、ご先祖調査でもよく取り上げられる場面が描かれており、大変関心を持ちながら視聴しました。

牧野富太郎が生まれ育った高知県高岡郡佐川町は土佐藩の領内で、1万石の土佐藩家老深尾家が領主となっていました。1万石=大名と考えがちですが、当時、徳川御三家や加賀・仙台・薩摩・長州・岡山など大大名の家臣には1万石以上を与えられた家老がおり、深尾家もその一つでした。これらの家には家臣がおり、本藩からみると家臣の家臣にあたり、これを陪臣といいます。ドラマに登場した榎木孝明さん演じる塚田昭徳は土佐藩の陪臣ということになります。

郷校名教館にはドラマで寺脇康文さんが演じていた池田蘭光のモデルとなる伊藤蘭林という名教授がおり、教え子には富太郎のほかに、明治政府で要職を歴任、宮内大臣を11年務め、晩年は土佐出身の志士の顕彰に尽力した田中光顕、近代土木の礎を築いた工学博士廣井勇、自由民権運動家で奈良・石川・山口県知事を務めた古澤滋がいました。

古澤滋の父南洋も名教館の教授を務めており、ドラマで池田蘭光のほかにもう一人出てきた教授が古澤と呼ばれていたので、南洋がモデルであったかもしれません。

写真は東京都文京区護国寺にある田中光顕のお墓と、東京都台東区谷中霊園にある古澤南洋のお墓です。

江戸時代は学問が発達し、藩校・郷校・私塾などが各地に設けられるようになりました。ご先祖調査でも幕末維新ごろのご先祖が藩校に通っていたとか、寺子屋の師匠であったとか、寺子屋の師匠を援助していたといった話がよくあります。

これからも万太郎が東京に出て植物学者などさまざまな人たちと出会いますが、それぞれモデルとなった人物がいますし、今のところ時代背景も丁寧に描いていますので、ファミリーヒストリー的な目線でみるとより楽しめるのではないかと思います。

家系図制作のお客さまの声が届きました。

 家系図制作のお客さまの声が届きました。

当社の家系図制作は、戸籍謄本を読み解いて解説し、なおかつ時代背景や地図、ご先祖の所有していた土地や家督相続のことまで解説しています。
平面的な家系図が、一気に立体的な画像へ、映像へ変化していきますので、家系図を見る楽しみが一段と増えていきます。家族や親族が集まった時にはご先祖の話題で盛り上がること請け合いです。
既に家系図や戸籍謄本をお持ちの方も、当社の家系図読み解きサービスをお試しください。(→現在は「簡易報告書」という簡素な名前です)
こちらのお客さまは再度のご利用で、上述解説と、お手持ちの思い出の資料も合わせて製本しました。喜んでいただけて大変嬉しいです。

墓石に込められたご先祖の想いを読み解く―町屋石からみえること―

主任調査員の金子です。

ご先祖調査で欠かせないのがお墓の調査です。

紙の文書が残っていない場合、石に刻まれた文字がご先祖の有益な情報になるケースが数多くありました。

お墓調査の場合、まずは刻まれている文字を読みとるということが重要になります。

さらに文字以外の要素からも情報を得られることがあります。

例えば、お墓の大きさや形式によって、その土地での地位などが見えてくる場合があります。

墓所の配置からも本家・分家の関係など、家同士の関係が見えてくることがあります。

それと、現時点ではご先祖調査に生かしきれていませんが、墓石の石材からも見えてくるものがあるのではないかと考えています。

さまざまな墓地へ行っているとだんだんと、地域によって石の色、形、彫り方などに特徴があることに気付きます。

以前から気になっていたのが、東京都豊島区にある水戸徳川家の墓石です。

画像は大河ドラマ「青天を衝け」にも登場した徳川慶喜の弟で、水戸藩最後の藩主となった徳川昭武の家族のお墓です。

画像ではみえにくいですが、細かいまだら模様が入っており、色は墓石の状態にもよりますが、緑や茶色が混ざったような独特な色をしているのが特徴です。

これと同じ石を同霊園内・青山霊園・谷中霊園等でみかけることがあり、これらのお墓をよく見てみるとほとんどが旧水戸藩士だったのです。

そして、水戸市へ行き、水戸藩士のお墓を調査したところ、藩士の共有墓地である常磐共有墓地や酒門共有墓地でこれと同じ石が数多くみられました。

数年前、石材屋さんとお話する機会があり、この話をしたところ、それは町屋石ではないかとのことでした。

町屋石のことを調べてみると、ズバリ「水戸藩の石」だったのです。

このことは『常陸太田市史 民俗編』に詳しく書かれていました。

常陸太田はあの有名な「水戸黄門」こと水戸藩2代藩主徳川光圀が隠居した地であり、この辺りで採掘されていたのが町屋石で、この石に注目した光圀が水戸徳川家の墓所瑞龍山に建立する墓石に採用し、藩御用の石屋亀屋に採掘を許可し、江戸期にわたり一般の採掘が禁じられていました。

実際のところ、江戸期に瑞龍山だけで使われていた訳ではなく、幕末に北海道石狩町の神社に奉納されている事例があり、この神社の氏子であった漁場の元締めの関係者が水戸藩内の那珂湊へ来た際に購入したものであったようです。

町屋石は「斑石(まだら)」という石材の一種で、町屋は採掘された地名に由来しています。

模様は笹目、べっこう、牡丹、紅葉、霜降りなどがあり、笹目が高級とされています。

水戸徳川家の墓石をみると、やはり笹目が多く使われています。

都内の霊園で町屋石の墓石を使っているのが、十中八九旧水戸藩士であったのはこういう訳があったのです。

彼らは東京に移住し、東京に墓所を設けても、水戸藩士であった誇りを忘れずに故郷の石をわざわざ取り寄せて墓石にした訳です。

そのように考える、こういった事例はほかの地域でもあるかもしれません。

墓石の石材から、ご先祖の想いを知ることができるかもしれませんね。

実年齢は60才((+_+))

 実年齢は60才((+_+))

 地元紙・足立朝日新聞に掲載していただきました。代表吉田の年齢が64才になっていますが、自分で校正し忘れました(>_<)。実年齢は60才です。
 なんとサイン入り著書、3名様にプレゼント!!
 これからサイン考えます~(笑)記事はwebサイトでも見られます。↓
https://www.adachi-asahi.jp/?p=37240#more-37240

渋沢栄一自伝『雨夜譚』を読む

主任調査員の金子です。

先月は今年の大河ドラマ「どうする家康」の話をしましたが、私は一昨年の「青天を衝け」が本当に大好きで、毎週日曜日が来るのを待ち焦がれながら1年近くを過ごしていました。

というのは15年前くらいから「青天を衝け」主人公の渋沢栄一に強い関心を持ち、その多大なる業績に対し、世の中の認知度が低いことを嘆かわしく思っていました。

私がプライベートで活動している会で、何度か谷中霊園の渋沢栄一のお墓を案内して、その業績や人物像について語ったものでした。

そのような訳で、大河ドラマの主人公になるのは望外の喜びでした。内容も栄一の自伝など、数々の資料をベースにして丁寧に描かれており、私の考える大河ドラマの理想形ともいえる完成度でした。

これは朝ドラ「あさが来た」も脚本した大森美香さんの手腕もあったかと思います。

渋沢栄一については『渋沢栄一伝記資料』という全58巻+別巻10巻という膨大な資料集があり、伝記に関しては、文豪幸田露伴や渋沢の秘書白石喜太郎の書いたものや、吉川弘文館の人物叢書シリーズ、岩波新書など数多く出版されています。個人的には昨年亡くなられたノンフィクション作家佐野眞一の『渋沢三代』(文春新書)が興味を持ちったころに読んだこともあり、大きな影響を受けました。栄一だけではなく、子篤二、孫敬三の三代を描き、正に渋沢家のファミリーヒストリーといった内容になっています。

それから、岩波文庫の『渋沢栄一自伝 雨夜譚』も非常に面白く何度も読み返しました。これは栄一が明治6年(1873)に大蔵省を退官するまでの自伝ですが、「青天を衝け」でも詳しく描かれた栄一の青年期がよく分かる自伝で、「青天を衝け」でも随分とこの自伝のエピソードが取り上げられていて、私はこのドラマを「実写版雨夜譚」と呼んでいました。

たとえば、第1回目冒頭で流れた、栄一と従兄弟喜作が、徳川慶喜が馬に乗って駆けるのを走って追いかけ、自身の名を名乗るシーンがありましたが、これは『雨夜譚』にあるエピソードが基になっており、堤真一さんが演じていた慶喜の側近平岡円四郎が、栄一が仕官を前に慶喜に拝謁したいと言うのに対し、前例がないからできないといい一度断りますが、なんとか思案し、今度御乗切(乗馬の遠出)があるからその時に追いかけて、遠くから何某でござると名乗るように提案し、栄一・喜作はそれを実行しました。まさにドラマで描かれたシーンです。ただドラマと史実の違いは、『雨夜譚』に「自分の身体はその頃から肥満して居り」とあり、実際は残念ながら吉沢亮さんのような美しい容姿ではなかったという点です。

ドラマをみた人はそんな違いも楽しめますし、これから渋沢栄一についてしりたい人も面白いエピソードが満載されていて、十分楽しめると思います。

さて、このような「自伝」は人物を調べる際に非常に役立ちます。家族構成、生い立ち、交友関係、発言や行動等さまざまな情報を得ることがきできます。もちろん、本人が書くことですから、都合のよいことを書いたり、脚色をしているという前提は持たねばなりませんが、特に資料が少ない人物については「自伝」に頼る場面が多々生じることがあります。

先祖調査においても、「自伝」「手記」「メモ」がみつかることがあります。くずし字やくせ字など読みにくいものもありますが、資料が少ない家の調査場合、大変有益な情報源になることがあります。

先祖調査をはじめる時は、こういったご先祖が残した「自伝」「手記」「メモ」自宅に残ってないか、あるいは親戚の家に残っていないか探してみると良いと思います。