墓石に込められたご先祖の想いを読み解く―町屋石からみえること―

主任調査員の金子です。

ご先祖調査で欠かせないのがお墓の調査です。

紙の文書が残っていない場合、石に刻まれた文字がご先祖の有益な情報になるケースが数多くありました。

お墓調査の場合、まずは刻まれている文字を読みとるということが重要になります。

さらに文字以外の要素からも情報を得られることがあります。

例えば、お墓の大きさや形式によって、その土地での地位などが見えてくる場合があります。

墓所の配置からも本家・分家の関係など、家同士の関係が見えてくることがあります。

それと、現時点ではご先祖調査に生かしきれていませんが、墓石の石材からも見えてくるものがあるのではないかと考えています。

さまざまな墓地へ行っているとだんだんと、地域によって石の色、形、彫り方などに特徴があることに気付きます。

以前から気になっていたのが、東京都豊島区にある水戸徳川家の墓石です。

画像は大河ドラマ「青天を衝け」にも登場した徳川慶喜の弟で、水戸藩最後の藩主となった徳川昭武の家族のお墓です。

画像ではみえにくいですが、細かいまだら模様が入っており、色は墓石の状態にもよりますが、緑や茶色が混ざったような独特な色をしているのが特徴です。

これと同じ石を同霊園内・青山霊園・谷中霊園等でみかけることがあり、これらのお墓をよく見てみるとほとんどが旧水戸藩士だったのです。

そして、水戸市へ行き、水戸藩士のお墓を調査したところ、藩士の共有墓地である常磐共有墓地や酒門共有墓地でこれと同じ石が数多くみられました。

数年前、石材屋さんとお話する機会があり、この話をしたところ、それは町屋石ではないかとのことでした。

町屋石のことを調べてみると、ズバリ「水戸藩の石」だったのです。

このことは『常陸太田市史 民俗編』に詳しく書かれていました。

常陸太田はあの有名な「水戸黄門」こと水戸藩2代藩主徳川光圀が隠居した地であり、この辺りで採掘されていたのが町屋石で、この石に注目した光圀が水戸徳川家の墓所瑞龍山に建立する墓石に採用し、藩御用の石屋亀屋に採掘を許可し、江戸期にわたり一般の採掘が禁じられていました。

実際のところ、江戸期に瑞龍山だけで使われていた訳ではなく、幕末に北海道石狩町の神社に奉納されている事例があり、この神社の氏子であった漁場の元締めの関係者が水戸藩内の那珂湊へ来た際に購入したものであったようです。

町屋石は「斑石(まだら)」という石材の一種で、町屋は採掘された地名に由来しています。

模様は笹目、べっこう、牡丹、紅葉、霜降りなどがあり、笹目が高級とされています。

水戸徳川家の墓石をみると、やはり笹目が多く使われています。

都内の霊園で町屋石の墓石を使っているのが、十中八九旧水戸藩士であったのはこういう訳があったのです。

彼らは東京に移住し、東京に墓所を設けても、水戸藩士であった誇りを忘れずに故郷の石をわざわざ取り寄せて墓石にした訳です。

そのように考える、こういった事例はほかの地域でもあるかもしれません。

墓石の石材から、ご先祖の想いを知ることができるかもしれませんね。