思い出の食事

大阪府東淀川にある「ホスピス・子供ホスピス病院」では、週に一度「リクエスト食」の日を設け、入所者の思い出の食事を提供しているとのことでした。これは昨夜のNHKクローズアップ現代で「人生のディナーを召し上がれ」という題名で取り上げられたテーマです。http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3351.html

管理栄養士さんや看護師さんが入所者に、食べたいメニューを聞くと同時に、そのメニューに関する思い出を聞き取っていくところから始まります。日本食の調理の経験のある調理師さんが、地元で手に入る素材を用いて、入所者の思う料理を作って提供していました。

貧しい中でも安くておいしいバッテラ(サバの押し寿司)が大好物だった方は、奥さんがそばで見つめる中、美味しそうに食べていました。若い奥さんを残していく食道癌の方は、いつも彼女と一緒に食べたすき焼きをリクエストし、畳の上で向かい合いますが、腸ろうのため豆腐を少し食べられただけでもずっと奥さんを気遣っていたそうです。

その他、初めて食べた白いご飯をリクエストした方にはお釜で炊いて、ちょっと硬めのお好み焼きの方にはその要望に応えて硬めに、ラッキョウ好きの方は一粒でも食べることができたり、お母さんが作ってくれたちょっとぱさぱさの卵焼きだったり、うな重、ハンバーグ、などなどいろんなメニューがありました。

食べ物の記憶は、いくつになってもその匂い、食感、見ため、味、その場の思い出とともによみがえってくるものだと思います。なかなかいい試みだなぁと思いながら、今回もテレビ番組のお話で失礼しました。結構テレビっ子です...(笑)

ファミリーヒストリー記録社ホームページはこちら→

http://familyhistory.secret.jp/ 

Youは何しに日本へ

http://www.tv-tokyo.co.jp/youhananishini/

最近気に入って、よく見ている番組があります。成田空港や関西空港、千歳空港で、テレビ東京のスタッフが、外国人に突撃インタビューするというものです。番組名そのまま、何をしに日本に来たのか、どこの国から来たのか、もし取材がOKならば、日本滞在中の撮影をさせてもらうという、結構強引な番組構成です。

ただ、案外気楽にインタビューに答えてくれる外国人が多く、インタビュアーの変な要求にも応えてくれるのが、見ていて嫌味がなく、とても笑える番組になっています。

来日する理由で結構多いのが、日本人と結婚する兄弟がいて、その結婚式に参列するという外国人。留学や仕事、旅行ももちろん多いです。

番組の趣旨とは全然違うのですが、見ながら思ったのは、こうやって世界中の人々が交流して新しい家族を作っていくんだなぁということでした。

太古の昔から、気候変動によって移動する民族や種族、政治的交流、様々な理由で生きる場を変えていく。そんな移動してきた人たちと元々その地に暮らす人たちが、複雑に混じり合う遺伝子を作ってきたんだなぁと、そんなことを考えていました。

でもまぁ、番組は気楽に見ております。あ、残念。明後日はお休みのようです。ごめんなさい~

今のうちに家系図を作っておきましょう

知人の家系図を作成中です。とある町役場に申請書を送ったら5通の除籍謄本と1通の改正原戸籍謄本が送られてきました。さらに電話で問い合わせをするともっと古いものが現存するというので、再度申請しましたが、完成までとても楽しみです。

さて、現在私たちが入手できる戸籍は明治19年式戸籍(1886年施行)が最も古いものです。それ以降は明治31年式、大正4年式、昭和23年式、平成6年式コンピュータ戸籍という変遷がありました。2010年に戸籍法が改正され150年以上保存することになりましたから、明治19年式戸籍は2036年までは保存しておいてもらえるはずです。

ところが2010年以前はというと80年以上保存で良かったそうなんです。従って1970年から41年間、古い戸籍は破棄されてしまった可能性があるのです。つまり1930年以前の戸籍ですよね。それが「今のうち」の理由です。

送られてきた戸籍を見ていると、慶応、万延、天保などの年号が出てきて、さらにさかのぼっていけそうだったり、ある代では養子や養女を迎えていたり、名前のバリエーションも面白く、どこの地方から嫁に入ったかなど、いろんな歴史を想像してしまいます。

戸籍調査は1か所の町役場で済まない場合も多いので、手間ひまかかるものではありますが、時間に余裕ができたなら是非みなさんも試してみませんか?

※参考図書「なぜいま家系図を作るべきなのか?」監修岩本卓也(枻出版)

ちょっと鹿児島まで…

20130513_1196580

写真はつい先日の、鹿児島は桜島の様子を撮ったものです。気温が25℃くらいまで上がり、少し霞んで見えます。新幹線の鹿児島中央駅からバスに乗り込み、バスごとフェリーに乗って、大隅半島の方に向かう船上での一枚。

ご高齢のみなさんのファミリーヒストリーをお聞きする時、戦争体験は人生において本当に記憶に残る、大きな出来事だったと思います。でもお話を聞く私たちには戦争体験がありません。そこで、鹿児島県鹿屋市の鹿屋航空基地資料館を見学してきました。

バス停を降りると道の南側は自衛隊の敷地となっており、木立の向こう側に資料館がありました。二式大艇がど~んと鎮座しています。資料館の周りにもP2V-7、R4D-6、US-1などの私には見たことも聞いたこともない飛行機が展示され、海上自衛隊航空の歴史を直接見られるようになっている飛行機公園があります。

資料館では、平成4年に鹿児島周辺の海岸で引き上げられた零戦二機から、一機の零戦が修復され展示されていました。「あぁ、これが話に聞くあの零戦...」操縦席が間近に見ることができ、エンジンや爆撃機もあります。真珠湾攻撃のための作戦が練られ、模擬訓練が行われたのも鹿児島。その傍らに特攻隊で帰らぬ人となった数百人の若者の写真や遺品、遺書などが壁一面に貼られていました。多くは大正生まれ、最も若い方で昭和4年生まれの青年たちです。

団体観光客が去った後の静かな館内で、ずっしりと重い歴史、その一端だけですが痛感して外に出ました。

当時の方も、あの晴れて霞む桜島を見ていたのかもしれませんね。

年長さんも話したがっている

先日、友人の年長さんの男の子の相手をしました。その子はどちらかというとインドア派で、図鑑をだまって何時間も見ているような子らしく、文字を覚えるのも早かったようです。かばんの中から一冊の本を取り出すと、ジャンとケンとポンが登場する海賊もののお話。私のために読み聞かせしてくれました。とてもすらすらと長い文章も平気で読んでくれました。
私は内心、この子なかなかすごいわぁと思いながら「ふむふむ」とひたすら聞いていました。 後で友人であるお母さんから「富美子おばさんに、うちに来てもらうの」と男の子が言っていたと聞き、一度会っただけなのにと嬉しくなりました。
子供だって相手に何かやってあげたいという思い、この男の子の場合は読み聞かせして喜んでもらいたいという思いがあったのでしょう。子供の、自分でやりたいという気持ちを奪ってはいけないということですかね~。

とはいえ、毎日子育てしているお母さんにとってはそんな余裕はないですっ!!と怒られそうです。
ファミリーヒストリー記録社は、シニアの皆さんだけでなく、年長さんのお話も丁寧に聞き取ります...ではなく、単に「孫は可愛い」と感じる、そんな年齢的な問題だったかもしれません。お婆ちゃんの独り言...(苦笑)。