久しぶりの講師
地元足立区の、概ね5年以内の起業家を対象にしたステップアップセミナーでメンターを務めています。来年2月まで続くお仕事です。
世の中にそのものずばりの事業が無かった中で、ゼロから始めたファミリーヒストリー記録社の11年間を追いました。
たった11年間でも濃厚な企業史になっていて感慨深いです。この間のべ400件ものご依頼をいただき本当にありがたいことです。これからも気を引き締めて良いサービスを提供していきます。


国土地理院のサイトからお借りしてきました。歯舞群島の秋勇留島―アキユリトウ―
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当社の開業は、私の父の半生とルーツをまとめた本を作ったことがきっかけだったのですが、その父も90歳。
まだまだ元気でいてほしいので、第二弾を制作するよと、いろいろ質問しています。
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まずは生まれ故郷の秋勇留島での思い出を、地図に書き込んでもらおうという作戦。学校をさぼって何千羽もいるカモメの卵を取って食べたそうです。味は鶏と変わらなかったとか(^^)/
今朝の読売新聞に我が家のファミリーヒストリーが…
読売新聞朝刊全国版に弊社のことが掲載されました。
ある年齢になってから、以前と全く異なることを始めた人々を特集するコーナーです。確かに言われてみれば、前職は食品メーカー研究員でしたので、なぜファミリーヒストリー記録社をはじめたのかと聞かれることもしばしばです。
今回の記事でだいたいのところは書いていただきました。恥ずかしながら我が家のファミリーヒストリーも書いてあります。
こんな背景を持つ会社ですが、引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします~
http://www.yomiuri.co.jp/economy/job/middle/nextlife/20150729-OYT8T50053.html
あらためてファミリーヒストリー記録社の思い
ここ1-2週間で3度ほど人前でお話する機会をいただきました。4分、30分、60分とそれぞれ話す時間もテーマも違いますが、ファミリーヒストリー記録社の思いを伝えられていればいいなと思います。
「思いと歴史を知ることは、自分自身だけでなく家族や会社の絆を深め、価値に気づき、価値を高めることです。思いや記憶は話さなければ消えてしまいます。是非お話してください。ファミリーヒストリー記録社は思いや歴史を伝えるお手伝いをしています」――そうお伝えしていました。
講師として話す時に思っていることは、一度でもいいので笑わせたいなぁということです。笑ってもらえれば、リラックスしてもらえるからです。そして最も伝えたいことも聞いてもらえるように思うからです。今回はどうだったんでしょう? 後からアンケート結果が回ってきます。ドキドキ。
お客様のお話をお聞きし、文章化する際も同じかもしれません。読む方の事を考えて文章にしなければなりません。これまでは、その方の話している雰囲気を文章にうつしたいと思っていました。ご家族が目を通した時に、その方がそばで話しているかのように文章化していました。もちろん全体的な整理もしますし、時代の流れを客観的に表現し、わかりやすくする工夫はしています。
しかし改めて文章の勉強をしてみると、話す時と同様に、心をつかむ書き方や順序、リズムがあり、最後まで読みたくなる文章にできることがわかりました。
話していないことまで装飾はしません。でも読み手を意識してこれまで以上に気をつけたいと改めて思いました。
その時代に生きた足跡
そうして、話に聞いた秋勇留島、横浜市鶴見区の寄宿舎、その近くのお寺、株式会社IHIの歴史、そんな資料を集めてその時代を思い浮かべられるように記録し始めたのです。写真が無ければ想像図をイラストで描き、地図があれば国土地理院に行き、戦争体験があれば軍歴証明を取り、渡航経験があれば外交史料館、経営者なら社史図書館などなど...。
もともと研究職だったので、どうも調べることが好きだったようです。
既に亡くなっていますが、シベリア抑留経験を持つ、ある会社の創業者のことを調査しました。満州国で軍属となって働いていたようですが、戦争末期の根こそぎ動員により召集されます。始めはどこでどんな仕事をしていたのか具体的にわかりませんでした。
国会図書館、防衛研究所、外交史料館などをまわって調べましたが何も見つかりません。そんな時に二代目社長の口から「同業の○○さんと一緒に行っていたそうだ」とお聞きしました。「でも亡くなって世代が変わっているし、疎遠になっているので聞くのは難しい」とのこと。しかし、その○○さんの経営する会社の社史を、川崎にある「社史図書館」で見つけます。
なんとそこには生前の創業者と○○さんが一緒に写った写真が残っていたのです。そして満州での仕事について初めて明らかにすることができました。
いつでも何かが見つかる訳ではありません。でもほんの小さな糸を手繰り寄せると、その時代に生きた足跡が見つかるかもしれません。
ファミリーヒストリー記録社はこちら→
http://familyhistory.secret.jp
知らなかったこと
今から70年前、北方領土に住んでいた人たちは命からがら逃げてきました。
父も船で逃げてきたものと勝手に思いこんでいました。ところが改めて聞いてみると、戦争中は勤労動員で神奈川県横浜市、石川島芝浦タービンにいたとのこと。終戦時17歳、手先の器用さをかわれて、長野県松本市に新しくできた工場に異動となり働いていたそうです。
8月終戦、根室に帰った父は、空襲で何もなくなってしまった市内を見て愕然としますが、幸い家族・親戚は島から引き上げて身を寄せ合って生きていました。その後父は生きていくために小学校の用務員になったり、大工をやったり、昆布の行商をしたり、行商先で出会った母と...父の話はまだまだ続きました。
ファミリーヒストリー記録社を始めようと思っていなければ、きっと聞いてはいませんでした。そんな戦前戦後の話も含めて、高度成長期の話、子育ての話、病いや怪我の話、事業を始めた話、本当に様々な話が、父だけでなく誰にでもあるということ、100人いれば100通りの物語があるということを今は実感しています。
聞こう、残そうと思わなければ、その記憶は消えてしまうだけなんですよね。
写真は前回記事の小学生の父と兄、弟、そして遠くに行ってしまったお姉さんです。